大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和32年(行)7号 判決 1961年10月10日

原告 米村勝喜 外一二七名

被告 天明新川土地改良区

主文

原告等の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の連帯負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告土地改良区が昭和二十九年三月三十一日の総代会における決議に基き原告等の同土地改良区からの離脱申請を拒否した処分は無効であることを確認する。」との判決を求め、その請求の原因として

原告等は被告土地改良区の地区に属する熊本県飽託郡川口村字村中字五町、字中塘、字中島、字前、字京築、字淑、字一の口、字田端、字長土手、字上屋敷、字四町、字溝越、字八反田、字拾町、字西、字西九町、字入鵜の内二千四百九十番より二千五百二番迄の地内、及び字中棚の内二千二百四番より二千二百十四番迄の地内、並びに同郡中緑村大字美登里字前、字徳堂、字水深、字沖田、字塘崎、字入江、字鴨原、字蜜柑(別紙図面に赤色を以て表示した地域)にそれぞれ耕地を所有もしくは耕作する被告土地改良区の組合員であるが、被告土地改良区の前身である天明新川普通水利組合は明治二十三年天明新川により水利を受けていた原告等を含む耕作者等によつて、設立された。当時、前記耕地一帯は、有明海の満潮時、緑川下流から逆流してくる潮流によつて緑川の水位の高まるのを利用して、緑川入江磧(別紙図面表示のハ点)から耕地へ引水すると共に、不足の用水を補うため前記水利組合の管理していた天明新川徳堂磧(同ニ点)から天明新川の水を取入れて灌漑していたが、昭和五年に着工した緑川改修工事が同十五年に完成すると、新に緑川と加勢川の合流点に六間堰(同ホ点)が構築され、同堰により湛水した加勢川の水を直接六間樋(同ヘ点)から水路で赤井樋(同リ点)迄導き、そこから原告等の耕地へと引水が可能となつたゝめ、従来の給水口であつた天明新川徳堂磧は、緑川入江磧と共に廃止され、それ以来原告等はその耕地への灌漑につき天明新川からは用水の供給を受けず、又前記水利組合の事業により利益を受けないこととなつた。

そこで原告等は右水利組合に対し、組合からの脱退を申出て来たが、同水利組合は昭和二十七年六月二十六日、土地改良法施行に伴う組織変更で被告土地改良区に事業を引継ぐに至つたので、改めて原告等は昭和二十七年八月二十日被告土地改良区に対し、離脱の申請をなしたところ、被告は同二十九年三月三十一日の総代会の決議に基き右申請を拒否する旨の処分をなした。然しながら右処分は、原告等の被告土地改良区の事業により利益を受けていない実情を誤認してなしたもので、土地改良法第六十六条第二項に違反する無効な処分である。而して原告等は現在訴外六間石樋土地改良区、及び美登里川口土地改良区に加入して同組合の組合費を負担している上に、何等利益を受けることのない被告土地改良区に止まつて、年々組合費の納付を強制されるいわれはないので、本件処分の無効確認を求めるため本訴請求に及んだものである。と述べ

被告の主張事実を争つて

(一)  原告等の耕地への給水点である前記赤井樋は、天明新川通門堰(同ト点)と加勢川の六間樋(六間石樋ともいう。)を結ぶ水路の中間に位置するが、地形上加勢川の水位は天明新川よりも高位にあるので、自然のまゞ放置しても天明新川の水流が通門堰を通つて赤井樋への水路に流込むことはないが、その上、被告土地改良区は右通門堰に赤井樋方面へ天明新川の用水が流出するのを防止するため水の流入のみ可能で、流出を不可能とする仕組の観音開きの返り蓋を取付け、大雨等で天明新川が増水した場合でも、赤井樋の方向に流入しようとする天明新川の水は自らの水勢で返り蓋を押して閉鎖してしまうので、原告等は天明新川から全く用水の供給を受けることが出来ない。

(二)  加勢川の水量は豊富な上に、有明海は六時間毎に干潮をくり返えし満潮時河口から逆流する潮流によつて加勢川は水位を高められるので、被告主張の松の木堰(同ル点)による堰上げの効果を受けなくとも、原告等は六間樋より充分な灌漑用水の供給を受けている。のみならず訴外六間石樋土地改良区の管理に属する右六間樋は、通常、六門ある樋門のうち二門のみを開放して使用している現状でも、原告等の耕地への灌漑は可能であるが、必要とあれば、樋門六門を全開することも出来るので、渇水期においても原告等の耕地は被告土地改良区の管理する前記松の木堰による水位調節の効果を受けずに充分灌漑用水は確保されるのである。

又同樋の樋門を全開したとしても、被告主張の如き、下流耕地への冠水の危険は同樋に堰番を置いて水利を調節しているのであるから発生の余地はなく、又六間石樋土地改良区において、松の木堰閉鎖の際は同樋の樋門二枚門放を慣行としている事実はない。

(三)  原告等は耕地への用水の面のみならず排水の点でも被告土地改良区の事業による利益を受けていない。即ち原告等の耕地の排水は、訴外美登里、川口土地改良区の管理に属する八丁石樋及び二丁石樋を使用してこれを行つて居り、被告土地改良区に関係する排水口はない。と述べた。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁及び抗弁として原告等の主張事実中、原告等が被告土地良区の地区内のその主張の地域に耕地を所有もしくは耕作するいずれも被告土地改良区の組合員であること、被告は明治二十三年設立された天明新川普通水利組合が、土地改良法施行に伴つて組織を変更して被告土地改良区となつたものであること、原告等主張の頃その主張のように緑川改修工事が完成して、新に設けられた六間樋により加勢川の水を直接原告等の耕地へと引水することが可能となつたこと、その結果、従来の給水点であつた天明新川徳堂磧は、緑川入江磧と共に撤去されたこと、及び、右工事により原告等が被告土地改良区の行う事業により利益を受けなくなつたとの理由の下にその主張の日、被告に対し組織から離脱の申請がなされ、これについて被告は、昭和二十九年三月三十一日の総代会において審議の結果、右申請を拒否する旨の処分をするに至つたこと、以上の各事実は認めるが、現在、原告等がその耕地について被告土地改良区の事業により利益を受けていないとの主張事実はこれを争う。

被告は原告等からの右申請につき、昭和二十七年九月十八日県耕地課の技術員立会の下に現地調査をした結果、原告等の受益の事実を確認したのでその申請を拒否したもので、もとより本件処分には土地改良法に違反する無効原因は存しない。即ち

(一)  原告等の耕地一帯への給水点である赤井樋は、被告土地改良区の管理する天明新川徳堂磧と、訴外六間石樋土地改良区の管理にかゝる加勢川六間樋を結ぶ水路の中間に所在し、右六間樋より流入する加勢川の水と共に、通門堰から流入する天明新川の水も取入れ、両河川の水流が合して始めて前記赤井樋は原告等耕地への灌漑につき必要とされる水位と水量を保つているのである。この事実は六間樋の樋門を通常の二門開放の条件の下に、通門堰下流に被告土地改良区が水位調節のため構築した松の木堰の樋門を開放してみれば直ちに判明することである。即ち、松の木堰を開放すると、通門堰附近の天明新川の水位は急速に下降し始め、その結果、六間樋より水路内に流入する加勢川の水は合流して水位を高むべき水流を失つて水位が下り、従つて赤井樋から原告等の耕地へと流入する水は極めて微量となつて、遂には灌漑することが出来なくなるのである。

このように、原告等の耕地は、天明新川の水利上の相互関係特に被告土地改良区の管理する松の木堰による水位調節作用の影響の下に灌漑を依存しているのであるから、被告土地改良区の事業により受益していることは明白である。

なお、前記通門堰には、樋門に観音開きの返り蓋を取付けているが、これは豪雨等によつて天明新川が異常増水した際、水流が同堰を越えて原告等の耕地等に浸水するのを防止するため、自然に返り蓋が閉じるよう専ら災害防止の見地から設置されたものであつて、通常は返り蓋が開放されているので、天明新川の水流は原告等の耕地へ通ずる水路と自由に交流している。

(二)  原告等は、右六間樋は現状の樋門二門開放の下でも灌漑は可能であるが同樋にある六門の樋門を全開するときは、松の木堰を開放しても水量の豊富な加勢川は、耕地に充分の用水を供給し得る旨主張するが、六間堰は飽託郡天明村大字美登里外五地区の耕作者によつて組織する訴外六間石樋土地改良区の管理に属し原告等の専用水路ではないし又水量豊富な通常時、松の木堰を閉じたまゝこれを全開するならば、原告等の耕地を含む下流の各地区の耕地は冠水の危険にさらされるため、日照り等の異常渇水期は格別として樋門を二門のみ開放して使用することが慣行とされているので原告等の利益にのみ樋門を全開することは出来ない実状にある。

(三)  原告等の耕地が、排水を訴外美登里、川口土地改良区に属する八丁石樋及び二丁石樋により行つている事実は認めるが、被告土地改良区は、天明新川の有明海河口に中三双樋、南三双樋、岩三双樋及び沖潮塘樋の防潮樋門を構築し、年々多額の経費を投じてこれ等を管理することによつて関係各地区を海水の逆流のもたらす災害から保護しており、更に土地改良区全域に亘つて用、排水施設の保存、管理のみならず災害復旧事業等の広範囲に亘る土地改良事業を実施しており、この利益は、被告土地改良区に属する各地区と共に等しく原告等の耕地へも及んでいる。従つて被告土地改良区の行う事業を限定して単に用、排水の利用関係のみを取上げて受益の有無を決定しようとする原告等の主強は失当であり、以上の諸点に鑑みてその請求は排斥さるべきである。

と述べた。

(証拠省略)

理由

原告等が被告土地改良区の地区に属するその主張の地域(別紙図面に赤色を以て表示した部分)にそれぞれ耕地を所有もしくは耕作し、被告土地改良区の組合員であること、被告は明治二十三年設立された天明新川普通水利組合を前身として昭和二十七年六月二十六日、土地改良法の施行に伴う組織変更により土地改良区として発足したものであること、及び原告等が被告土地改良区の行う事業により何等利益を受けていないことを理由に、その主張の日、被告に対し組合から脱退する旨の申請をなし、これに対し被告は昭和二十九年三月三十一日の総代会の決議に基いて、原告等の右申請を拒否する旨の処分をなしたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争がない。

原告等は本件拒否の処分は、原告等が被告の事業により何ら受益していない事実を誤認してなされたもので土地改良法第六十六条第二項に違反する無効原因があると主張するのに対し、被告はこれを争うので、以下原告等の耕地が被告土地改良区の事業により利益を受けているか否かを具体的に検討することとする。

検証の結果によれば、原告等が離脱を求めている耕地一帯は熊本県飽託郡と不益城郡の境界を概ね東より西方に向つて流れる緑川と加勢川との合流点(別紙図面表示のイ点)から、緑川と天明新川との合流点(同ロ点)に至る間の緑川北岸に位し、天明新川と緑川に挾まれた地域の略南半分に当ることが認められる。而して同地域はもと、有明海の潮流を利用して満潮時、河口を逆流して来る海流により水位の高まつた緑川の水を入江磧(同ハ点)から引水すると共に、天明新川の徳堂磧(同ニ点)から天明新川の水も取入れて来たが、昭和五年着工の緑川改修工事が完成して、新に緑川と加勢川の合流点に六間堰(同ホ点)が構築され、六間石樋(同ヘ点)から直接加勢川の水を赤井樋(同リ点)まで水路により導き、こゝから原告等の耕地へと配水することが出来るようになり、そのため天明新川徳堂磧は緑川入江磧と共に廃止されるに至つたこと、及び前記赤井樋は一方で加勢川六間石樋に通じると共に他方天明新川通門堰(同ト点)にも水路で連結され、同水路の中間に位置することは当事者間に争がない。原告等は加勢川の水位は常に天明新川の水位よりも高い上に前記通門堰には被告土地改良区により、天明新川の用水の流失を妨止する目的で観音開の返り蓋が設置されているので、原告等は前記徳堂磧廃止以後、天明新川の水を潅漑に利用し難い旨主張するけれども、地形上加勢川の水位が天明新川の水位よりも高位にあることを認めるに足る証拠はなく、又通門堰には原告等主張に吻合する観音開きの返り蓋が設置されている事実は被告も争はないが、その目的については専ら大雨等による天明新川の異常増水に際して、原告等の耕地を含む通門堰下流域の冠水防止のため設計されたものであるとの被告の説明にも合理性があつて早急には結論付けることは出来ない。しかし少くとも検証の結果により明かな如く右返り蓋の構造に徴して天明新川側の相当程度の増水がない限り、水勢によつて返り蓋が閉鎖することは起り得ず、平時天明新川の水は自由に赤井樋に通ずる水路に向つて流通し、天明新川と加勢川の水利上の関連性は同堰によつて何等遮断されていないことが確認できる。

そこで、右通門堰下流に構築された天明新川松の木堰(同ル点)による天明新川の堰上げ(水位調節)の効果が原告等の耕地への潅漑に与える影響につき考えてみる。

方式及び趣旨により真正に成立したものと推定される乙第四号証に、鑑定人田辺邦美の鑑定及び前掲検証の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、原告等の耕地への潅漑を可能ならしめる条件として、耕作に必要とされる水量が耕地へ流入することは勿論であるが、本件の場合特に、用水の取入口である赤井樋附近の水路の水位が常に耕地の標高より高いということが必須とされるところ前記六間樋を通常の使用方法に従つて、六門の樋門のうち二門を開放した状態の下で松の木堰の門扉を開放すると、右六間樋から流入する加勢川の流水量の大、小、有明海の潮位の高低にかゝわらず赤井樋の用水取入口の水位は明瞭に低下すること、同水路内の水位の低下は反面では加勢川から流水量の増加をもたらすが水路内の用水の流速が増加するため水位の上昇を意味するものでないこと、従つて有明海が大潮で河口から逆流する潮流があつても、松の木堰で天明新川の水位を堰上げ水位を調節しなくては原告等の耕地内の潅漑用水は逆に水路に流出するか、もしくは浸透流となつて流失し、その潅漑は不可能となること、以上の事実が窺われ、原告等の耕地は松の木堰の背水限界内にあり、その水位調節により六間樋から取入れた用水を有効に配分利用し、その潅漑につき被告土地改良区の管理する同堰の影響を受けていることは明白である。

右認定に反する原告本人村上道俊の供述は、具体的な資料に基かない単なる同人の推測に過ぎず鑑定人藤芳義男の鑑定の結果は前掲各証拠に対比して措信し難く、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。尤も原告等は前記六間樋は通常六門の樋門のうち二門のみを開放使用しているが必要とあれば全樋門を開放することも可能であるので松の木堰の堰上げの影響を受けなくとも充分な水量を確保することが出来る旨主張するので考えるが、検証の結果によると、同樋にある六門の樋門のうち、二門はハンドル巻揚にて容易に開閉できるが、残り四門は構造上比較的開閉が困難であることが窺知され、右の構造上の相違点及び弁論の全趣旨からして同樋は通常二門開放の状態で使用するのが慣行化されていると推認されるし、仮りに全門を開放したとしても前記認定の如く、加勢川から水路内への流水量の増加が必ずしも赤井樋附近の水位の上昇とならず、原告等の耕地へ過、不足なく潅漑用水を供給し得るかは疑問である。のみならず成立に争のない乙第一号証の二、同号証の五に前掲田辺邦美の鑑定の結果を加え考えると、被告土地改良区は、定款に定められた天明新川の川筋の用排水施設の保存、管理、災害復旧等のいわゆる土地改良事業を行つており、特に下流有明海河口附近に、中三双樋、岩三双樋、南三双樋、沖潮塘樋の妨潮樋門を設置、管理することによつて、原告等の耕地を含む関係各地区の耕地及び作物を海水の逆流から生ずる直接、間接の被害から保護していることが認められ、用排水の水利のみならず右事業によつて原告等も充分に被告土地改良区の事業により利益を受けていることが認められる。

以上認定の如く、原告等は被告土地改良区の行う事業により利益を受けているのでその離脱の申請を拒否した被告土地改良区の本件処分には無効原因はないので、原告等の本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浦野憲雄 村上博己 牧田静二)

図<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例